水玉共和国通信

第 1 回

AID-DCC Inc. 富永勇亮です。

もう、こう名乗るのは最後になる。

大学をやめて、始めた制作ユニット DANP UNION を解散した 22 歳の頃、
周りに誰も居なくなり、行く宛もなくなった僕にとっての大切な場所。

それが、AID-DCC Inc. でした。

設立当初は、オフィスもなく、社長はサラリーマンで、週に一度、正和や社長と会う程度だった。
できるだけ、立派なビルのカフェを探して打ち合わせをしていたのは、振り返れば、虚栄心だったと思う。

エレベーターの無い、4 階建ての小さなビルの階段を上るとき、「僕には毎日行く場所がある。扉を開ければ、仲間がいる。」そう思うと、薄暗く狭い階段を駆け上がる事ができた。

就職したら、当たり前の事が、僕にはとても新鮮で、毎日が楽しかった。

初日からの徹夜、仕事のない日々。
何を勉強してよいのか、何をやればよいのか判らない日々。

失敗に失敗と発見を重ねて、少しづつ生み出し、少しづつ、自信をつけていった。
止まっているよりは何かしている方が良い。

そう思って、続けてきた。
僕にとって、AID-DCC Inc. は青春のすべて。

その AID-DCC Inc. を今日、この日、辞職します。

14 年間、務めた AID-DCC Inc.
僕の青春の全てをつぎ込んだ AID-DCC Inc.

僕のすべてだ。と言って過言ではない存在を抜ける事は、
とてつもない脱力感と時より訪れる恐怖心にも似た喪失感に押しつぶされそうになります。

でも、僕はまだ笑っていられます。
だいたいの時、笑っているので、この一年ほど、僕が会社を辞めるなんて事を考えていたなんて誰も気付いてなかったと思います。

そして、笑っていられる理由は、一緒に会社を立ち上げるメンバーが心強く
そして、旧知の仲間だからです。 
小山智彦 a.k.a. Saqoosha/谷口恭介 a.k.a.へり/藤原愼哉/関賢一 
ずっと一緒に闘ってきた仲間です。

それぞれのストロングポイントと欠点を知っています。
だから、必要以上の期待もしないし、当たり前のようにやれる仲間だと信じています。

これが心の安定を生んでいるのだと思います。

そして、もうひとつの喜びは、すごく個人的なことです。

「社長を、もう一度、お兄ちゃんと呼べる。」

実はこれが一番嬉しいです。

会社のナンバー 2 である私にとって、唯一の上司は、社長である兄です。
私と兄は 11 歳の年齢さから、中学生の頃から大学生 3 回生の時に再会するまで、ほとんど顔を合わさない期間がありました。そして、3 回生のある日、私たちは心斎橋で再会しました。それから、毎日毎日、失われていた数年間を埋めるかのように、遊びから仕事まで、何でも一緒に過ごしてきた兄。

いつしか会社も大きくなり、兄弟として過ごす日々よりも、社長と現場の責任者として会話をすることの方が多くなっていました。二人っきりで飲むときは、普通にしゃべるのですが、普段敬語を使い慣れてくると、「お兄ちゃん、アホちゃう?」とは言い難くなります。昔は兄弟と幼なじみの 3 人で旅行に行ってはバカ騒ぎをしてたのに。

そんな兄弟が復活する事に喜びを覚えます。

安定した基盤があり、どんなプロジェクトがきても、ドンとこい!っと言っていられた AID-DCC Inc. を辞して、大海に浮かぶ小舟の存在のような、私たち dot by dot inc.

しかし、小さいからこそのフットワークの良さとノリノリのテンションと技術力で、日本全国の優秀なフリーの人達を巻き込んで面白いアウトプットをし続けていこうと思っています。 

個々が輝く会社を目指して、これから仲間を募って行きます。

どうかこれからも、兄ユキヒロ、弟ゆうすけをよろしくお願いします。 

dot by dot inc.

CEO 富永勇亮

2014.4.29